理論の研究室の末松先生からご連絡がありました.
ご葬儀について情報は以下の通りです。
お通夜 9月17日(月) 19時から
ご葬儀 9月18日(火) 10時から
場所 金沢市旭町 メモリアルホール アネックス 076-223-1311
取り急ぎよろしくお願いいたします.
理論の研究室の末松先生からご連絡がありました.
ご葬儀について情報は以下の通りです。
お通夜 9月17日(月) 19時から
ご葬儀 9月18日(火) 10時から
場所 金沢市旭町 メモリアルホール アネックス 076-223-1311
取り急ぎよろしくお願いいたします.
金沢大学物理学同窓会会長
安達 正明
若狭先生はH30年8月15日に享年87歳でお亡くなりになり,8月17日11時よりご葬儀が金沢駅前のサンレー金沢紫雲閣で執り行われました.
若狭先生は金沢大学物理学科の2期卒業生でして,金沢大学へは教養部にお勤めになった後,理学部物理学科へ移られて長く教壇にお立ちになられました.先生は学生の理解力を考えて丁寧に授業をされ,また大変穏やかなお人柄で,学生達から広く慕われてました.このため理論の研究室に所属しなかった卒業生も穏やかな若狭先生のことを記憶されていることと思います.そこで,奥様から若狭先生の金沢大学定年退職後のご様子をお聞きし,ここに簡単ですが紹介させて頂きます.
若狭先生は退職後は63才から77才まで14年間にわたり放送大学の学生として,民法や社会学,語学その他の色んな学門を興味を持って広く勉強されていたとのこと.そして最後の頃は放送大学の物理の試験でもあまり満足のいく点数を取れなくなったのを機にやめられたとのことでした.一方でテニスも楽しんでおられましたが,足が痛くなってからは,それもできなくなり読書や数字のパズルを解くことなどに楽しみを移されていたとのことです.本当にあまり動けなくなった後は車椅子を利用されるようになり,施設にも3年ほど入っておられ,その間ショートステイでご自宅にも帰ってこられていたとのことです.そのようにしながらお過ごしでしたが,ご逝去の数日前に誤飲性肺炎で急遽入院され,あっという間に病状が悪化して最後は心不全でお亡くなりになったのとことです.
ご葬儀ではお孫さん達が連れ添っておじいちゃんの思い出を涙ながらに語って下さいました.そして奥様もご家庭での先生のお人柄を語られ一度も怒られたことがなかったと話されました.安達も葬儀会場でご家族から若狭先生の思い出をお聞きするにつれて,学生時代だったころの若狭先生のお姿やお言葉が脳裏にくっきりと浮かびました.参列者として物理学科から現役の青木先生,そして退職されている,鈴木恒雄先生,また旧教養部にも長く居られた馬替先生,物理の事務を長くされていた問谷さんもおられました.若狭先生は葬儀は近しい人だけでやって欲しいと生前話されておられ,奥様はそのようにされたとのことでした.また,いま物理の事務をされている西川さんはご家族から連絡を受けて後,若狭先生の研究室で勉強されていた卒業生にも分かる範囲でお知らせの電子メールを出しましたが殆どは配達できないで返ってきたとのことでした.葬儀では遠方に居られる卒業生数名からの弔電が披露されました.
ここに若狭先生のご葬儀の様子や奥様からお聞きした生前の様子をつたない文章にして,皆さまに広くお知らせすると共に,若狭先生のご冥福を心から深くお祈り申し上げます.
この度、久保治輔教授におかれましては平成30年3月末日をもちまして退官されることになりました。
今日に至るまで久保教授は素粒子・宇宙分野で比類なき研究業績を挙げ、かつ、多くの優秀な人材を育成してこられました。つきましては、これまでの久保教授の研究活動を振り返り、新たな研究へ発展させるための研究会を開催致します。研究会の後は、久保教授のこれまでの研究・教育・大学運営の全面にわたるご活動に敬服と感謝の意を表しますと共に、今後のより一層のご健勝ご活躍をお祈り申し上げたく、久保教授を囲んでのパーティーを開催致します。ご多用とは存じますが、多くの同窓生の皆様に御出頂きますよう
御願い申し上げます。
記
日時:平成30年4月28日(土)
金沢大学 素粒子・宇宙・理論物理研究室(旧理論物理学研究室) 一同
本会への問い合わせ方法:本サイトの「お問い合わせ」ページ
https://kanazawa-u-physics-dousou.jp/contact
のメールフォームよりお問い合わせください。
担当者へ転送させて頂きます。
2009年 3月 修士課程修了
三菱電機(株)電力システム製作所 小田原 周平
2017年6月10日,ご賛同いただきましたみなさまのお力により,鎌田啓一先生の退官記念祝賀会が執り行われました。みなさま,ありがとうございました。以下,つたなく恐縮ではありますが,当日の様子を報告させていただきます。
当日の15時過ぎ,会場であるホテル日航金沢にお越しいただいた鎌田先生と喫煙室で一服しているうちに全国より当日ご出席いただいたみなさまがお集まりになられました。総勢約120名と多くのみなさまにお集まりいただき,広い会場もいっぱいになりました(図1)。
図1:当日開始前の鎌田先生(図1−1)と会場の様子(図1−2)
式次第のご案内の後,万雷の拍手を持って先生を会場にお迎えしました。ご略歴のご紹介の後,祝辞を賜り,鏡割りのお酒を持って乾杯となりました。初めから会場は活気に溢れ,当日初めて顔を合わせる方も多いであろうなか,世代関わらず語らい,楽しまれている様に研究室の空気を感じました(図2)。
図2:鏡割りの様子(図2-1)と会場の様子。世代をこえてご歓談を楽しまれていました(図2-2)。開始当初はみなさん席で楽しまれていらっしゃいましたが,すぐに各々自由に動き回り立席の様相を呈してきました(図2-3,4)。
式途中では様々な方々からの祝電及び懐かしいお話,写真を交えたご祝辞を頂戴しました。筆者の生まれ年ごろのこともご紹介いただく一方で,つい昨年のことにも触れていただくと,まさに研究室の歴史をご紹介いただきました(図3)。
図3:式次第のご祝辞でご紹介いただいた写真の例。研究室に様々な形で保存されていた写真から抜粋したもの(図3-1)から最終講義ごろの写真まで(図3-2)用いつつ,懐かしいお話を頂戴しました。
式も終盤に入ったところで,先生にお花が贈呈されました。プレゼンターは研究室出身者のご子息,ご息女が務めてくださいました。たくさんの大人に囲まれつつも立派に我らが先生にお花を手渡してくれました。受け取る先生もいつにも増していい笑顔でいらっしゃいました(図4)。
図4:お花の贈呈の様子。プレゼンターのみなさま,ご協力ありがとうございました。
楽しい時間がすぎるのは早いもので,気がつけば時間となってしまいました。先生よりご挨拶を賜りました(図5)。ご挨拶ではみなさまへの御礼とともに“研究室出身のみなさんはマルクスとパルスラインを扱ったことのある世界でも貴重な学生。自信を持って邁進してほしい”と研究室ならではのお言葉を頂戴するとともに,“部屋は開けてあるので説教でよければいつでも聞きに来い”と先生らしいお言葉をいただきました。お言葉に甘えてお伺いし,コーヒーをいただきながらお話を頂戴したいものです。
図5:ご挨拶をいただいた際の様子。筆者の研究室在籍時と変わらぬご様子を見せていただきました。研究室出身のみなさまにとってもお年をめされても変わらぬ先生のご様子であったのではないでしょうか。
全員でとった集合写真を図6に示します。当日の出席者だけで約120名にもなりました。残念ながらご都合のつかなかった方々を合わせるとさらに大所帯となります。
図6:当日出席者による集合写真。約120名による集合写真。ご出席いただいた卒業生は1984年ご卒業の方から2016年卒業の方まで多岐に及んでおりました。卒業生に留まらず,在学中の方,先生とご親交の深い先生方および研究室の学生のためにお力添えをいただいた方々と多くのみなさまにご賛助いただきました。
式の最後,ご出席いただいたみなさまがご退出なさる際,先生はお一人お一人をお見送りなさいました。先生の変わらぬお人柄をお感じになられた方も多かったものと思います。この後も話は尽きず,日付が代わり3次会になるまで楽しい時間が続きました(図7)。
図7:お見送りの様子(図7−1)と二次会の様子(図7−2)。二次会は会場を変えて行われました。話題は尽きず,楽しい二次会となりました。先生にもこの後,三次会になるまでご一緒いただきました。
ご賛同いただきましたみなさまのご協力をもって素晴らしい祝賀会となりました。運営側の一員として改めて御礼申し上げます。ご協力ありがとうございました。
先生の今後のますますのご健勝,ご発展を祈り,鎌田啓一先生の退官記念祝賀会の報告を締めさせていただきます。
2017年4月 吉日
鎌田啓一先生におかれましては、2017年3月末日をもちまして御退職なさいました。つきましては、先生の御勇退を謹んでお祝い申し上げると同時に、今後とも一層の御健勝御活躍をお祈り申し上げたく、下記により激励会を開催いたします。御多用中とは存じますが、多くの同窓生の皆様に御出席頂きます様お願い申し上げます。
発起人代表:曽我 之泰
発起人:玉川 洋一、安藤 利得、曽我 之泰、松村 登、森田 裕、小口 治久、長谷川 大祐、鎌田 正輝、小田原 周平、小川 智秋、高木 大
記
日 時:平成29年6月10日(土)17時から19時
場 所:ホテル日航金沢 中宴会場 孔雀の間
住所 石川県金沢市本町2-15-1(JR金沢駅兼六園口前)
電話 076-234-1111
参加費:一般10千円、学生5千円 (当日会場にて申し受けます。)
ご出席連絡方法:本サイトの「お問い合わせ」ページ
https://kanazawa-u-physics-dousou.jp/contact
のメールフォームよりお問い合わせ下さい。担当者へ転送させていただきます。
その他:鎌田先生への記念品などを目的として寄付を募っております。3千円/1口から任意の金額でのご賛助をお願いいたします。内容は鎌田先生の希望を優先し発起人で決めさせて頂きます。詳細はご出席連絡方法と併せてご案内いたします。
以上
1992年3月 修士課程修了,2016年3月 社会人博士コース修了
(株)日立製作所 研究開発グループ 森田 裕
2017年3月14日,鎌田先生の最終講義がありました。「IREBと共に」(IREB: Intense Relativistic Electron Beam,大強度相対論的電子ビーム)と題した最終講義には先生がた,在校生,卒業生ら100人近くが集まり,いつもの笑顔で鎌田先生の講義が始まりました。
「ちゃんと聞いていたか確認しますので,学生さんはあとで当てます。」,「途中から思い出話になっちゃいますすけど。」一気に場が和んで,笑いに包まれます。
まずはパルスパワーの基礎から。そう言えば,研究室に配属になって最初のゼミで分布定数回路とパルス伝搬に関する講義を受けたのでした。今日はその復習です。先生の講義は直感的でわかりやすく,それは昔と変わりません。オーディオにも詳しい鎌田先生の講義は,同軸ケーブルやスピーカーのインピーダンスにまつわる実学にも触れながら進みます。これも昔と同じです。実験では50Ωの同軸ケーブルを1MΩのオシロスコープにつなぐと先輩から怒られたものです。
懐かしい写真が出てきました。先生によると,城内キャンパスの航空写真がなかなか見つからず,この写真は貴重とのこと。今は金沢城公園としてきれいに整備され,理学部のあった場所を知るよすがはありませんが,大手門と黒門のちょうど真ん中あたり,今は新丸広場と呼ばれているところに研究室がありました。
城内キャンパス時代のいわゆる”プレハブ”実験室の写真も出てきました。プレハブは黒門を上がって右手の高台の上にありました。夏の暑さをしのぐために,屋根には手作りの散水装置,室内には気分だけでも涼しくなるように,雪の兼六園の写真が貼ってあったと記憶しています。Google earthで確認すると,新丸広場の西側にプレハブに行くために昇った階段がまだ残っているようです。
いよいよ講義も佳境に入ってきました。城内キャンパスから角間キャンパスに移って,実験装置としてプレハブ時代のPULSERAD 105Aに220Gも加わりました。時間軸に沿って話が進みます。卒業生には思い出深い話ばかりで,専門的な話も先生のわかりやすい説明でよく理解できます。学生は専門的な研究は当然のこと,測定装置の製作や操作を通じて実学を学んだものです。かくいう私は,今でも老眼と戦いながらもハンダ付けをしたり,真空配管の漏れを探したり,学生時代に学んだ実学を存分に活かしています。
あっという間に最後のスライドになりました。PULSERAD 105Aも退役とのこと。「IREBと共に去らむとする時こそ ありがとう さようなら」とは,先生,かっこ良すぎます。最後に,先生が立ち上げた「サイエンスラボ」の紹介がありました。学科をまたぐ横のつながり,先生・先輩・後輩の縦のつながり,素晴らしい組織です。サイエンスラボの活躍も楽しみです。
最後に花束贈呈です。今日は「そんなものいいから,恥ずかしいから。」とおっしゃることなく,今日はしっかり受け取っていただけました。安心しました。鳴りやまない拍手の中,最終講義はお開きとなりました。
退役したPULSERAD 105Aの状況をお伝えします。すでに絶縁油を抜いて,分解されてビーム棟の外に搬出されていました。修理や部品交換の履歴が直接書いてあります,卒業生たちは「これ俺たちが修理したときのものだよ。」「外に出すと意外と小さいなぁ。」等と話しておりました。
実験室の現状はこちらです。この雑然とした感じがたまりません。古いものも大切に使われています。自分が作った装置もどこかにあると思います。
最終講義も終わって,先生も研究室に戻ってこられました。研究室にはお菓子が山積みになっています。卒業生はおなかを空かした学生さんのためにお菓子を差し入れするのが伝統となっていて,今日は当然ながら食べきれないほどのお菓子が並びました。誰かがコーヒーを淹れるのも恒例になっています。今日は卒業生の持参したミルで挽きたてのコーヒーを楽しむことができました。先生も交えて,昔話に花が咲きます。110Aの模型も出てきました。
なんと獲れたてのマグロの差し入れがありました。鎌田先生の「これ,どうすんだ?」の一言で,「今からさばきますよ。」の一言でマグロの解体ショーが始まりました。すぐさま反応し,「醤油とワサビある?」「冷蔵庫には・・・,うーん,無いです。」「じゃ,買って来よう。」と数人が行動を開始しました。このレスポンスの良さとフットワークの軽さ,これも誇るべき伝統です。獲れたてのマグロ,皆さんとおいしくいただきました。
先生との思い出話は尽きませんが,残念ながら今日は火曜日,遠くから来ている卒業生は帰る時間になりました。先生にそれぞれ挨拶をして,ひとまず散開です。6月には鎌田先生を送る会を開催予定ですので,またお会いしましょう。
最後になりましたが,鎌田先生,ありがとうございました,そして長い間お疲れさまでした。今後も定期的に説教を受けにまいりますので,お体をご自愛くださいませ。今後,卒業生が集まる機会を作りますので,しばらくお待ちいただきたく,よろしくお願いいたします。
2017年3月5日
2017年3月末日を以てご退職される鎌田啓一先生の最終講義が下記の要領で開催され
ます。
皆様お誘いあわせの上、ご参加ください。
記
日時:2017年3月14日(火)14時00分~
会場:金沢大学自然科学5号館(旧理学部棟)2階大講義室
題目:「IREBと共に」
備考:不明な点につきましては、本サイトの「お問い合わせ」ページ
https://kanazawa-u-physics-dousou.jp/contact
のメールフォームよりお問い合わせ下さい。担当者へ転送させていただきます。
以上
日頃、金沢大学物理学同窓会に対し、一方ならぬご理解とご協力をいただき、心より感謝申し上げます。
さて、平成28年末に、前回の総会に「欠席」される旨の回答を頂きました同窓生の皆様に対して、「金沢大学物理学同窓会会報」をお送りいたしました。その際に、同窓会の窮状を訴え、ご寄付のお願いをいたしました。これに対し、任意であることを申し上げた上であるにもかかわらず、活動のための資金として多大なるご寄付を賜りました。特段のご厚志を戴いたことに対し、同窓会幹事一同、謹んでお礼を申し上げます。賜りました芳志は、同窓会会則に従い物理学同窓会の発展のため、大事に使わせていただく所存です。
当同窓会は、4年生の卒研発表会や大学院修了審査会への支援、ニュートン祭への補助、HPの運営など幾つかの事業を行っております。今後は、これらの活動を充実させるとともに、さらななる同窓会の発展を目指し努力いたします。何卒今後ともご支援を賜りますよう、お願い申し上げます。
末筆ながら、同窓生の皆様の一層のご発展をお祈り申し上げます。
金沢大学物理学同窓会 幹事一同
ご寄付の年月 | 卒業・修了年 | ご芳名 |
---|---|---|
平成29年2月 | 昭和35年卒 | 小島様 |
昭和54年卒 | 匿名の方 | |
昭和37年卒 | 浦田様 | |
昭和38年卒 | 山口様 | |
平成9年卒 | 坂様 | |
平成29年1月分 | 昭和38年卒 | 越田様 |
昭和39年卒 | 相木様 | |
昭和42年卒 | 匿名の方 | |
平成4年修了 | 岡本様 | |
昭和31年卒 | 今村様 | |
昭和37年卒 | 林様 | |
昭和39年卒 | 山脇様 | |
昭和45年修了 | 田代様 | |
平成5年卒 | 匿名の方 | |
昭和43年卒 | 安田様 | |
昭和45年卒 | 寺井様 | |
昭和47年卒 | 匿名の方 | |
昭和53年修了 | 岡崎様 | |
昭和50年卒 | 石原様 | |
昭和51年卒昭和53年修了 | 生実様 | |
昭和54年修了 | 長内様 | |
昭和45年卒 | 寺前様 | |
昭和46年卒 | 塩田様 | |
昭和54年卒 | 髙橋様 | |
昭和28年卒 | 久貝様 | |
昭和44年卒 | 中本様 | |
昭和58年修了 | 来島様 | |
昭和32年卒 | 池舘様 | |
昭和39年卒 | 匿名の方 | |
平成3年卒平成5年修了 | 山下様 | |
昭和49年卒昭和52年修了 | 堀様 | |
昭和57年卒 | 三輪様 | |
昭和48年卒昭和50年修了 | 福田様 | |
昭和52年卒 | 山田様 | |
昭和43年卒 | 小林様 | |
平成28年12月分 | 昭和28年卒 | 田口様 |
昭和34年卒 | 化生様 | |
昭和44年卒 | 髙橋様 | |
昭和45年卒 | 有沢様 | |
昭和47年卒 | 小林様 |
開催日:平成28年9月24日(土)13:30~18:00
場 所:東海大学校友会館
経産省出向時代に通っていた千代田線霞ヶ関駅に着いたのはお昼前、13時半からの合同同窓会に出る前に、昔通っていた店のランチを久しぶりにと思い、駅から地上に出ると、平日の賑わいは無く週末の官庁街は閑散としていた。朝から曇りがちで、どんよりとした天気は、霞ヶ関のシャッターが降りた飲食街を歩くうちに雨に変わってしまった。気楽にジーンズにインディゴのジャケットを羽織る程度の軽装で家を出て来た為、濡れる事も気にせず傘も無く街を歩いた。北関東の田舎から北の都に一人向かった30年前もこんな天気だったかなと思いながら適当にお昼を済まし、会場である東海大学校友会館へと向かった。
受付の前には半被を着た気の良さそうな二人の受付爺が、名簿を眺めたり机の上を整理したり、忙しくしていた。声を掛けると、第何回卒業かを聞かれたが良く判らない。名簿の名前を探している様なので、飛び込みで、エントリーしていない事を伝えると、少々困った顔をしたが、若手の参加に気を良くして何とかなるからと会議室に通された。どうやら、懇親会が立食では無く指定席なので困ったらしい。88年に入学して博士号を取ったと告げると、「博士が来てくれた、博士が来てくれた」と喜んでいた。47歳の中年を捕まえて若手と呼ぶのだから、大分平均年齢が高いらしい。同年代の知り合いに会えるかも知れないと言う期待はこの時早くも無くなったが、優しい笑顔と陽気な声が金沢の懐を思い出させてくれた。お二人は化学科の先輩らしい。改めて合同同窓会なんだと感じた。この日は先ず、各学部の同窓会の会議が行なわれ、その後合同同窓会が開かれる事が判った。ただ陽気に飲んで帰ろうかと思っていただけに、気後れする部分も有ったが、結構なお値段の会費も払ってしまったので、大人しくただ座っていようと決めた。
受付から直ぐ先の会議室へ入ると、そこには懐かしい先生の顔が有った。放射線化学の中西先生が、学生時代に観た気品の有る優しい笑顔でテーブルに着いて居られた。物理学科の増崎教授の研究室で博士号を戴いたと自己紹介をした所、昔共同研究をした事があると仰っていたが、恐らく私が講座に入る前の事、城内に大学が有った頃の事かと思う。理学部関連の出席者は二十名程度で有ったが、工学部の工業会等はもっと多くの参加者が居た様だ。議事に関しては申し訳ないが覚えていない。全く知り合いには会えないかと思っていたが、一昨年行なわれた物理学科の同窓会に出席されていた先輩にお会いする事が出来た。理学部の同窓会が済んだ頃、「欠席者が居るので、懇親会も大丈夫」と先程の受付爺が和やかに告げに来てくれた。
理学部の会議が終わると、東京支部全学合同で行なわれる講演会の為に大きなホールへと移動した。理学部関係者では観なかった若手の顔も多く観られたが、殆どが工学部の卒業生らしい。キッチリとスーツに身を包み、動員されたのだろうか学生に見えなくも無い若さ。理学部でも関東支部があればと思わなくも無いが、薮蛇になりそうなので。因に、受付爺の話に依ると、北の都会なる同窓会を銀座のビアホール等で月一回の割合で開いているらしい。その内行ってみようかと思う。工学部の工業会は50名強の出席、全体で150名弱の出席者であった。講演会は、昭和55年に工学部機械工学科を卒業された、小松製作所の迎野執行役員様より「コマツのものづくり」と題したご講演を戴いた。コマツの企業姿勢、近年の取り組み、今後の開発戦略に渡る有意義なご講演で、大変興味深い物だった。
講演会の後、同じ階の別室に移り、合同懇親会が16時より行なわれた。開会宣言、校歌斉唱よりスタートした懇親会は、各同窓会代表、来賓の紹介が行なわれた後、同窓会を代表して法・経・文同窓会東京支部長 中川了滋様、来賓を代表して金沢大学学長 山崎光悦様のご挨拶を戴いた。懇親会のテーブルは円卓でそれぞれの同窓会を混ぜた形に配置された。教育学部OBが座る隣のテーブルに気を引かれながらも、隣席の土木出身の先輩と、学生時代の頃から国交省務めの頃までのお話等で楽しい時間を過ごす事が出来た。欲を言えば、もう少しうまい酒を、まあ東京の会場でこの会費では無理か。懇親会は寮歌でただの宴会に、拳と旗を振り下ろしながらの大熱唱で幕を閉じた、「そりゃあ〜〜ッ!!」。この後、多くの方が同ビルの飲食店街で行なわれる各学部個別の二次会へ向かう中、一人つくばへの帰路についた。茅場町のビストロで白ワインを空け、終電近くでつくばへ着いた頃にはもう日が変わっていただろうか。ジャケットのポケットには、上手い事営業されたループ帯が忍んでいた。そんなに安くは無いが、皆様も如何でしょうか。
文、写真 97年博士修了 小口治久
【編注】
金沢大学東京事務所
平成28年度 金沢大学同窓会東京支部 総会・記念講演会・合同懇親会
東京での金沢大学関連情報については、金沢大学東京事務所のおしらせを参照されたし。北の都会月例会も掲載されている。
先の東京オリンピック開催の年(1964年)に入学した物理学科生の同窓会を、およそ半世紀ぶりに開催しました。2016年11月16日(水)、湯涌温泉「かなや」の宿に、12名の、かつての青年がその面影を漂わせながら参集しました。卒業後、湯河原温泉や舘山寺温泉に一部が集うことはありましたが、48年ぶりのメンバーの顔も多くありました。当日は、先ず金沢駅西口に6名が集まり、メンバーの車で新しい(私らの感覚では・・・)角間キャンパスを訪れました。広大なキャンパスに迷いながらも大学会館にたどり着き、アカンサスインターフェイスを通って自然科学5号館まで足を運びました。途中、在学生とも交流しながら写真を撮りました。
湯涌温泉「かなや」の宿には、午後4時ごろから三々五々集まり始め、お風呂の中からお互いの確認が始まりました。しかし、6時の宴席は始まってもまだ2名が顔を見せません。なんだかんだと議論しながらも、焦れて、先ず10名で記念の集合写真を撮ることになりました。50年余りの月日はたいへん長いものです。皆さんそれぞれの充実した50年を語るには、どれだけ時間があっても足りません。そこで、そこは簡略にして、むしろ「いま」ないしは「これから」を語ってもらうことにいたしました。驚くことに、ほとんどの人が、この「いま」ないし「これから」に具体的なテーマを持って活動していることがわかりました。恐るべし我が同窓の、この歳にして、この活力、立派な友人をたくさん持った幸せを感じたひと時でした。
宴席の終盤に、一人来着、翌朝朝食時一人来着、必然独演になったことは疑う余地はありませ ん。いずれも地元のメンバーでした。
半世紀ぶりに、昔の学生時代に戻り、おおいに語らい、鋭気を回復した二日間の同窓会でした。
(小林正尚記)