河田脩二先生のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげます

こちらには,河田先生の研究室出身者からの追悼文を掲載します.

河田脩二先生の教え子の1人として

北陸大学 竹井巖

河田脩二先生は、6年前から血液関係の稀な病に罹られ、当時利用できるようになった新薬を用いて治療されてきましたが、今年12月15日に85歳で逝去されました。眠っているような安らかな顔をされていたのが印象的でした。

私は、1977年に修士課程でご指導をお受けして40年余りのお付き合いになります。私の現職場への就職には、河田先生から少なからぬお力添えをいただきました。

河田先生のご指導を端緒として、私は氷関係の研究者としての道を歩いてきました。そこで感じることは、河田先生の業績の中で氷物性関係のものは、純氷の誘電的性質の他に追従を許さない精緻な測定結果の提示とKOH添加による氷の72K秩序無秩序相転移の発見という、2つ仕事が国際的に高い評価を受けていることです。退職されて20年を経過しましたが、学会等で氷の誘電物性関係の発表があると、河田というすごい先生がいたと言及されることがあります。

もちろん、人はいつかは寿命を全うする定めですので、河田先生もその例外ではないのですが、葬儀が執り行われて骨壺に収まるという経過のなかで、私は何度か涙をとどめることを抗えませんでした。河田先生への思いは、縁ある人それぞれなのでしょう。

河田先生のご冥福をお祈りします。

河田先生にはいつでも会えると思っていたのです

金沢大学物理学同窓会 幹事(広報担当) 宮田 敬太郎

私は1991年4月から1993年3月まで,修士課程で河田先生の研究室に在籍しておりました.今現在,私は地元である金沢に住んでおります.辰巳用水遊歩道沿いに家があり,そこから河田先生のご自宅へはそれほど遠くありません.河田先生のご自宅へお邪魔したり,辰巳用水遊歩道を散歩しているときにランニングをされている河田先生に遭遇したりしました.夏場だと辰巳用水沿いには蛍が数多く飛び交います.夜,辰巳用水遊歩道に蛍を求めて歩くと,蛍の数を記録している河田先生に遭遇することも多々ありました.

そんな訳で,私は河田先生にはいつでも会えると思っていたのです.

私は物理学同窓会の幹事を務めていることもあり,河田先生のお通夜と葬儀をお手伝いさせていただきました.また,河田先生の奥様からは故人を偲びたいということで,お通夜やご葬儀の後のご親族のお食事にもお招きくださいました.お通夜の際は竹井先生,岡本先生とともに,ご葬儀の際は竹井先生とともに同席させていただきました.

お通夜やご葬儀の際の物理関係の参列者をこちらに記します.お名前の無い方がいらっしゃいましたら,ご指摘ください.

現役教員
青木 健一 先生(大学院自然科学研究科長)
阿部 聡 先生
佐藤 政行 先生(物理コース長)
末松 大二郎 先生
松本 宏一 先生(極低温研究室長)
古寺 哲幸 先生(同窓生)
藤竹 正晴 先生
藤下 豪司 先生(特任教授)
鎌田 啓一 先生(特任教授)

退職教員
樋渡 保秋 先生(元理学部教授)
大橋 信喜美 先生(元理学部教授)
木村 實 先生(元理学部教授)
直江 俊一 先生(元工学部教授)
安達 正明 先生(物理学同窓会長・元工学部教授)
石本 浩康 先生(元理学部教授)

その他
神田 健三 様(中谷宇吉郎雪の科学館長)
井上 三郎 様(同窓会相談役・元金沢機工株式会社社長)
竹井 巖 先生(北陸大学教授・同窓生)
向 敬一 様(元技術職員)
問谷 元子様(元職員)
卒業生・修了生多数(岡本先生,川本さん,野上さん,松田さん,宮田・・・)

弔電を高橋 尚志 先生(香川大学教授・同窓生)からも頂いております.

ご葬儀の後,ご親族のお食事にお招きいただいていることもあり,金沢市東斎場に竹井先生ともどもご一緒させていただきました.私どもの年齢ともなれば,親や親族の葬儀でお骨を拾う機会も多々あります.河田先生のお骨を目にし,これまでの体験とともに,河田先生の肉体は既に地上には無く,河田先生は私達の記憶の中にのみいらっしゃることを実感致しました.もう私達は,河田先生に会うことは出来ないのですね.

最後のご親族のお食事の際,奥様には冒頭の河田先生とのエピソードをお話させて頂きました.こうやって故人を偲ぶなどして,私達は死というものを受け入れていくのでしょう.

河田先生のご冥福をお祈り致します.

河田先生を悼んで

平成7年3月 修士課程修了 戸田 英児

ここ数年、河田先生の病状について先生自身より年賀状にて報告を受けており、心配はしていましたが、ご逝去された事を聞いて改めて心にぽっかり穴が開いたような気持になり、本当に残念な知らせでした。

自分は18年間、静岡県という気候に恵まれた地域で育ち、大学は金沢大学を選びました。静岡とは全く違う気象条件に戸惑いを感じながらも、金沢に息づく伝統文化、そこに住む人々の人情に触れる度に金沢を好きになり、今では嫁の実家でもあり第二の故郷となっています。その中でも河田先生との出会いは自分の人生に大きな影響を与えてくれました。いつも笑顔で接してくれて親身になって相談に乗ってくれる優しさ、その中でも研究に対して妥協を許さない厳しさがあり、先生の元で過ごした3年間で学んだことは今の自分の考え方の基本となっていると言っても過言ではありません。

河田研究室での思い出は数多くあります。氷という身近な物質を研究対象にすることとなり、身近であるものでも分からないことがこんなにあるということを思い知らされたこと、-10度という極寒の中でのサンプル準備、徹夜での実験等、真剣に研究に向き合ったことは今でも人生の宝となっています。そして河田研と言えばなんと言ってもウォークラリー。同じ研究室の林正弘君と企画、試し歩き、運営、最後の打ち上げまで行ったことは本当に楽しい思い出となっています。

自分が大学院を卒業後、何かの縁で河田先生が趣味としていたマラソンを始めました。何年か前に嫁の実家である金沢に帰省し、金沢の街を走っていた時に、同じくジョギングをしている河田先生と偶然お会いして話をすることができました。その時が先生との最後の時間となってしまいましたが、変わらぬ優しい笑顔で接してくれた先生を忘れることができません。今思うと神様がマラソンという趣味を通して再び出会わせてくれたのだと思っています。今度は一緒の大会に出て走りたいですね、と言葉を交わしましたが、それが叶わないこととなってしまい本当に残念です。これからは先生が教えてくれたことや思い出と一緒に自分の人生の残りの距離を走って行きたいと思います。

先生、本当にお疲れ様でした。天国でゆっくり休んでください。

河田先生の教え

平成七年三月 修士課程修了 林 正弘

河田先生にお世話になったのは、教養時代の物理学の講義にはじまり、修士修了までの六年間でした。この歳になると六年間はそう長い時間ではないかもしれませんが、二十歳前後での六年間は非常に貴重な期間でした。いつも笑顔で、常におおらかな先生の姿に引かれ、戸田英児氏とともに誘電体研究室を希望したのを覚えています。ただ、おおらかなだけでなく実験とその結果には一切妥協をしない先生の姿勢は、現在教員をしている自分にとって、この上ないお手本に違いありません。

さて、そんな河田先生との思い出をいくつか書かせていただきたいと思います。

二年次の熱統計力学の講義だったような気がします。式の展開に疑問を抱いたのか、じっと考え始め納得いくまで講義は中断、「曖昧な講義はしたくない」といった河田先生の性格が垣間見えた気がしました。また、河田研に所属し間もないころ、不注意で新品の同様のデュワービンを割ってしまったことがありました。「ヤベェー!やっちまった!」と思いながら、事情を話したところ笑いながら「そうですかぁ。形あるものはいずれ無くなりますから・・・・」。そういわれ、胸を撫で下ろしたことを覚えています。その後「物は所詮無くなる。むしろ伝統や格式といったものの方が長生きする。」という言葉を耳にしたことがあります。

現在、群馬県で物理教員の立場で受験指導をしていますが、多くの宿題や残り勉強でもさせれば偏差値の2や3は上昇するでしょう。しかし、本当の学力にはならないし、将来の研究(研き究めること)にはつながらないと考えます。本人がその気になったとき、精一杯の援助と妥協のない指導を心がけています。どれだけ先生と同じことが実行できるかわかりませんが、少しでも自分自身の教え子にその考えを伝えられたらと思います。伝統や格式と同様に、「教え」も長く生き続けるものだと、この歳になって痛感しています。

先生に教えられたことは物理や実験のことばかりでなく、それを通しての人生観を教えられたような気がします。河田修二先生お疲れさまです。そして、本当にありがとうございました。

河田先生を悼んで

平成九年三月 修士課程修了 松田 吉弘

自分は河田先生と年賀状のやりとりをしていましたので、先生の体調が芳しくないことは知っておりましたが、大切な恩師がご逝去されたことはやはり非常にショックでした。先生の訃報を受けお通夜に参列させていただくと、学生だった当時の思い出があふれてきました。

自分は河田先生の誘電体研究室に、学部と修士の合計3年間所属していたのですが、河田先生はいつもニコニコと笑顔で自分たち学生に接してくださり、研究室での3年間はとても充実していました。

河田先生の誘電体研究室の思い出は色々あります。研究についてはとても厳しく、確信が持てるまで実験を何度も繰り返し行うよう、自分たちに指導されていたことを思い出します。

そして一番印象深いのは、やはりウォークラリーです。ウォークラリーのコース案を作り河田先生に「これでいいですか?」とお伺いをたてると、「30km以上は歩かないと。」と言われ、「え?そんなに歩くの?」と思いながらコースを変更したことを思い出します。

その他にも、三口新町にあった河田先生の自宅で花火を鑑賞させていただいたこと、「松田君、人の卒論手伝っている場合じゃないよ。」と注意されたこと、「雑用も一つしかないとなかなか取りかからないけど、たくさんあるとすぐ取りかかって、結局、早く終わるんだよ。」と言われていたこと等、いろいろと思い出があふれてきます。

自分は今、石川県庁職員として働いていますが、仕事に対する心構えは河田先生の下で学んだと思っています。河田先生がいなければ今の自分はあり得ません。

河田先生、長い間お疲れさまでした。そしてありがとうございました。

河田先生が亡くなられました

大変悲しいお知らせですが、つい先ほど、河田脩二先生が亡くなられたとの報を奥様からいただきました。

ご葬儀などについては、下記の通りです。
お通夜 12月17日(月) 19時から
ご葬儀 12月18日(火) 10時から
場所両儀とも
〒920-1156 金沢市田上の里2丁目8番地 ピースフル田上
Tel. 076-261-7722

※追記
喪主はご子息の「河田 拓(ひらき)」様です.

以上,よろしくお願い致します。

堀尚一先生のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげます

金沢大学物理学同窓会会長
安達 正明

堀尚一先生は9月14日に94才で天寿を全うされました.18日の10時から予定されていたご葬儀には安達は所用で出席できないので17日午後7時からのお通夜に参列しました(金沢メモリアルホール).

読経とご住職のお話のあと,堀先生のご長男の堀直樹様からご挨拶がありました.先生は富山県高岡市のお生まれで飛び級で東大へ進み流体工学を学んだ後,京都大学で湯川先生や朝永先生の近くで軍事技術と関係しない素粒子を研究され,その後に金沢大学へ移られたとのこと.そして長年のまた多くの理論物理の研究等に対して平成12年11月3日に天皇陛下より勲二等瑞宝章を授与されたとお話されました.

安達は学部3年か4年の時に相対論的量子力学に関係する授業を先生から受けたと記憶しています.テニスの練習にも一度加えて貰った記憶があります.ご存じの方も多いと思いますが,先生は研究に加えてテニスも深く愛好されていました.1987年の退職後も金沢大学の黒門テニスクラブの各種イベントにはずっと参加されていたようで,列席されていたテニス関係者はつい2,3年前の忘年会までにも参加されてたと言っていました.そう言えば2015年の物理学同窓会総会に来賓としておいでいただきました折りには,テニスの試合でかなり無理をしたために膝を痛めてしまったと少し前までテニスをされていた感じでお話しをされました.

お通夜には,金沢大学の物理系から現役の青木先生,末松先生,退職された先生としては樋渡元物理学同窓会会長,そして2年少し前に安達と同時に定年退職になった鎌田先生,藤下先生,そして問谷さんその他の方々のお顔を拝見しました.18日のご葬儀に参列した同窓会役員の岡本先生からは,上記の方々に加えて元物理学同窓会役員の大橋先生,退職された直江先生や理工研究域の大橋政司先生などのお顔も拝見しましたとの連絡がありました.本当に長い間,多くの卒業生のご指導をありがとうございました.ここに謹んで心からご冥福をお祈りいたします.

若狭昭先生のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげます

金沢大学物理学同窓会会長
安達 正明

若狭先生はH30年8月15日に享年87歳でお亡くなりになり,8月17日11時よりご葬儀が金沢駅前のサンレー金沢紫雲閣で執り行われました.

若狭先生は金沢大学物理学科の2期卒業生でして,金沢大学へは教養部にお勤めになった後,理学部物理学科へ移られて長く教壇にお立ちになられました.先生は学生の理解力を考えて丁寧に授業をされ,また大変穏やかなお人柄で,学生達から広く慕われてました.このため理論の研究室に所属しなかった卒業生も穏やかな若狭先生のことを記憶されていることと思います.そこで,奥様から若狭先生の金沢大学定年退職後のご様子をお聞きし,ここに簡単ですが紹介させて頂きます.

若狭先生は退職後は63才から77才まで14年間にわたり放送大学の学生として,民法や社会学,語学その他の色んな学門を興味を持って広く勉強されていたとのこと.そして最後の頃は放送大学の物理の試験でもあまり満足のいく点数を取れなくなったのを機にやめられたとのことでした.一方でテニスも楽しんでおられましたが,足が痛くなってからは,それもできなくなり読書や数字のパズルを解くことなどに楽しみを移されていたとのことです.本当にあまり動けなくなった後は車椅子を利用されるようになり,施設にも3年ほど入っておられ,その間ショートステイでご自宅にも帰ってこられていたとのことです.そのようにしながらお過ごしでしたが,ご逝去の数日前に誤飲性肺炎で急遽入院され,あっという間に病状が悪化して最後は心不全でお亡くなりになったのとことです.

ご葬儀ではお孫さん達が連れ添っておじいちゃんの思い出を涙ながらに語って下さいました.そして奥様もご家庭での先生のお人柄を語られ一度も怒られたことがなかったと話されました.安達も葬儀会場でご家族から若狭先生の思い出をお聞きするにつれて,学生時代だったころの若狭先生のお姿やお言葉が脳裏にくっきりと浮かびました.参列者として物理学科から現役の青木先生,そして退職されている,鈴木恒雄先生,また旧教養部にも長く居られた馬替先生,物理の事務を長くされていた問谷さんもおられました.若狭先生は葬儀は近しい人だけでやって欲しいと生前話されておられ,奥様はそのようにされたとのことでした.また,いま物理の事務をされている西川さんはご家族から連絡を受けて後,若狭先生の研究室で勉強されていた卒業生にも分かる範囲でお知らせの電子メールを出しましたが殆どは配達できないで返ってきたとのことでした.葬儀では遠方に居られる卒業生数名からの弔電が披露されました.

ここに若狭先生のご葬儀の様子や奥様からお聞きした生前の様子をつたない文章にして,皆さまに広くお知らせすると共に,若狭先生のご冥福を心から深くお祈り申し上げます.

久保治輔教授退官記念研究会及びパーティーのご案内 (平成30年4月16日(月) 研究会プログラム 更新)

この度、久保治輔教授におかれましては平成30年3月末日をもちまして退官されることになりました。
今日に至るまで久保教授は素粒子・宇宙分野で比類なき研究業績を挙げ、かつ、多くの優秀な人材を育成してこられました。つきましては、これまでの久保教授の研究活動を振り返り、新たな研究へ発展させるための研究会を開催致します。研究会の後は、久保教授のこれまでの研究・教育・大学運営の全面にわたるご活動に敬服と感謝の意を表しますと共に、今後のより一層のご健勝ご活躍をお祈り申し上げたく、久保教授を囲んでのパーティーを開催致します。ご多用とは存じますが、多くの同窓生の皆様に御出頂きますよう
御願い申し上げます。

日時:平成30年4月28日(土)

  • 13:30 – 16:40 記念研究会(受付は13:00から)
    場所:金沢大学角間キャンパス自然科学5号館(旧理学部棟) 2階大講義室
    (なお、現在の素粒子・宇宙・理論物理研究室は同じ建物の5階524号室周辺です。)
    終了後、記念パーティー会場までのバスを用意します。

    • 13:30 – 13:40 (10) 末松大二郎(金沢大学)     「はじめに」
    • 13:40 – 14:00 (20) 小林達夫(北海道大学)     「SUSY RG and flavor symmetries」
    • 14:00 – 14:20 (20) 川村嘉春(信州大学)      「超弦理論に救われて」
    • 14:20 – 14:40 (20) 沼波政倫(核融合科学研究所)  「素粒子から核融合へ」
    • 14:40 – 15:00 (20)  休憩
    • 15:00 – 15:20 (20) 江尻信司(新潟大学)       「久保さんとゲージ理論の相転移」
    • 15:20 – 15:40 (20) 梶山裕二(岐阜聖徳学園大学)   「高次元理論とフレーバー対称性」
    • 15:40 – 16:00 (20) 荒木威(工学院大学)       「高エネルギー宇宙ニュートリノから探る新物理」
    • 16:00 – 16:30 (30) 久保治輔(金沢大学)       「最近考えていること」
    • 16:30 – 16:40 (10)       退官記念パーティーへのご案内
  •  バスで移動
  • 18:00 – 20:00 記念パーティー(受付は17:30から)
    場所:ANAクラウンプラザホテル金沢 石川県金沢市昭和町16-3 (金沢駅前)

金沢大学 素粒子・宇宙・理論物理研究室(旧理論物理学研究室) 一同

本会への問い合わせ方法:本サイトの「お問い合わせ」ページ
https://kanazawa-u-physics-dousou.jp/contact
のメールフォームよりお問い合わせください。
担当者へ転送させて頂きます。

鎌田啓一先生 退官記念祝賀会レポート

2009年 3月 修士課程修了
三菱電機(株)電力システム製作所 小田原 周平

2017年6月10日,ご賛同いただきましたみなさまのお力により,鎌田啓一先生の退官記念祝賀会が執り行われました。みなさま,ありがとうございました。以下,つたなく恐縮ではありますが,当日の様子を報告させていただきます。

当日の15時過ぎ,会場であるホテル日航金沢にお越しいただいた鎌田先生と喫煙室で一服しているうちに全国より当日ご出席いただいたみなさまがお集まりになられました。総勢約120名と多くのみなさまにお集まりいただき,広い会場もいっぱいになりました(図1)。

図1-1

図1-2

図1:当日開始前の鎌田先生(図1−1)と会場の様子(図1−2)

式次第のご案内の後,万雷の拍手を持って先生を会場にお迎えしました。ご略歴のご紹介の後,祝辞を賜り,鏡割りのお酒を持って乾杯となりました。初めから会場は活気に溢れ,当日初めて顔を合わせる方も多いであろうなか,世代関わらず語らい,楽しまれている様に研究室の空気を感じました(図2)。

図2-1

図2−2

図2−3

図2−4

図2:鏡割りの様子(図2-1)と会場の様子。世代をこえてご歓談を楽しまれていました(図2-2)。開始当初はみなさん席で楽しまれていらっしゃいましたが,すぐに各々自由に動き回り立席の様相を呈してきました(図2-3,4)。

式途中では様々な方々からの祝電及び懐かしいお話,写真を交えたご祝辞を頂戴しました。筆者の生まれ年ごろのこともご紹介いただく一方で,つい昨年のことにも触れていただくと,まさに研究室の歴史をご紹介いただきました(図3)。

図3−1

図3−2

図3:式次第のご祝辞でご紹介いただいた写真の例。研究室に様々な形で保存されていた写真から抜粋したもの(図3-1)から最終講義ごろの写真まで(図3-2)用いつつ,懐かしいお話を頂戴しました。

式も終盤に入ったところで,先生にお花が贈呈されました。プレゼンターは研究室出身者のご子息,ご息女が務めてくださいました。たくさんの大人に囲まれつつも立派に我らが先生にお花を手渡してくれました。受け取る先生もいつにも増していい笑顔でいらっしゃいました(図4)。

図4−1

図4−2

図4:お花の贈呈の様子。プレゼンターのみなさま,ご協力ありがとうございました。

楽しい時間がすぎるのは早いもので,気がつけば時間となってしまいました。先生よりご挨拶を賜りました(図5)。ご挨拶ではみなさまへの御礼とともに“研究室出身のみなさんはマルクスとパルスラインを扱ったことのある世界でも貴重な学生。自信を持って邁進してほしい”と研究室ならではのお言葉を頂戴するとともに,“部屋は開けてあるので説教でよければいつでも聞きに来い”と先生らしいお言葉をいただきました。お言葉に甘えてお伺いし,コーヒーをいただきながらお話を頂戴したいものです。

図5

図5:ご挨拶をいただいた際の様子。筆者の研究室在籍時と変わらぬご様子を見せていただきました。研究室出身のみなさまにとってもお年をめされても変わらぬ先生のご様子であったのではないでしょうか。

全員でとった集合写真を図6に示します。当日の出席者だけで約120名にもなりました。残念ながらご都合のつかなかった方々を合わせるとさらに大所帯となります。

図6

図6:当日出席者による集合写真。約120名による集合写真。ご出席いただいた卒業生は1984年ご卒業の方から2016年卒業の方まで多岐に及んでおりました。卒業生に留まらず,在学中の方,先生とご親交の深い先生方および研究室の学生のためにお力添えをいただいた方々と多くのみなさまにご賛助いただきました。

式の最後,ご出席いただいたみなさまがご退出なさる際,先生はお一人お一人をお見送りなさいました。先生の変わらぬお人柄をお感じになられた方も多かったものと思います。この後も話は尽きず,日付が代わり3次会になるまで楽しい時間が続きました(図7)。

図7−1

図7−2

図7:お見送りの様子(図7−1)と二次会の様子(図7−2)。二次会は会場を変えて行われました。話題は尽きず,楽しい二次会となりました。先生にもこの後,三次会になるまでご一緒いただきました。

ご賛同いただきましたみなさまのご協力をもって素晴らしい祝賀会となりました。運営側の一員として改めて御礼申し上げます。ご協力ありがとうございました。
先生の今後のますますのご健勝,ご発展を祈り,鎌田啓一先生の退官記念祝賀会の報告を締めさせていただきます。

金沢大学同窓会東京支部 合同同窓会(総会・記念講演・懇親会)の様子

開催日:平成28年9月24日(土)13:30~18:00
場 所:東海大学校友会館

経産省出向時代に通っていた千代田線霞ヶ関駅に着いたのはお昼前、13時半からの合同同窓会に出る前に、昔通っていた店のランチを久しぶりにと思い、駅から地上に出ると、平日の賑わいは無く週末の官庁街は閑散としていた。朝から曇りがちで、どんよりとした天気は、霞ヶ関のシャッターが降りた飲食街を歩くうちに雨に変わってしまった。気楽にジーンズにインディゴのジャケットを羽織る程度の軽装で家を出て来た為、濡れる事も気にせず傘も無く街を歩いた。北関東の田舎から北の都に一人向かった30年前もこんな天気だったかなと思いながら適当にお昼を済まし、会場である東海大学校友会館へと向かった。

懇親会会場からの眺め

受付爺(無許可なので顔はイラスト)

受付の前には半被を着た気の良さそうな二人の受付爺が、名簿を眺めたり机の上を整理したり、忙しくしていた。声を掛けると、第何回卒業かを聞かれたが良く判らない。名簿の名前を探している様なので、飛び込みで、エントリーしていない事を伝えると、少々困った顔をしたが、若手の参加に気を良くして何とかなるからと会議室に通された。どうやら、懇親会が立食では無く指定席なので困ったらしい。88年に入学して博士号を取ったと告げると、「博士が来てくれた、博士が来てくれた」と喜んでいた。47歳の中年を捕まえて若手と呼ぶのだから、大分平均年齢が高いらしい。同年代の知り合いに会えるかも知れないと言う期待はこの時早くも無くなったが、優しい笑顔と陽気な声が金沢の懐を思い出させてくれた。お二人は化学科の先輩らしい。改めて合同同窓会なんだと感じた。この日は先ず、各学部の同窓会の会議が行なわれ、その後合同同窓会が開かれる事が判った。ただ陽気に飲んで帰ろうかと思っていただけに、気後れする部分も有ったが、結構なお値段の会費も払ってしまったので、大人しくただ座っていようと決めた。

受付から直ぐ先の会議室へ入ると、そこには懐かしい先生の顔が有った。放射線化学の中西先生が、学生時代に観た気品の有る優しい笑顔でテーブルに着いて居られた。物理学科の増崎教授の研究室で博士号を戴いたと自己紹介をした所、昔共同研究をした事があると仰っていたが、恐らく私が講座に入る前の事、城内に大学が有った頃の事かと思う。理学部関連の出席者は二十名程度で有ったが、工学部の工業会等はもっと多くの参加者が居た様だ。議事に関しては申し訳ないが覚えていない。全く知り合いには会えないかと思っていたが、一昨年行なわれた物理学科の同窓会に出席されていた先輩にお会いする事が出来た。理学部の同窓会が済んだ頃、「欠席者が居るので、懇親会も大丈夫」と先程の受付爺が和やかに告げに来てくれた。

中西先生と先輩方(無許可なので一部顔はイラスト)

理学部同窓会会議の様子

理学部の会議が終わると、東京支部全学合同で行なわれる講演会の為に大きなホールへと移動した。理学部関係者では観なかった若手の顔も多く観られたが、殆どが工学部の卒業生らしい。キッチリとスーツに身を包み、動員されたのだろうか学生に見えなくも無い若さ。理学部でも関東支部があればと思わなくも無いが、薮蛇になりそうなので。因に、受付爺の話に依ると、北の都会なる同窓会を銀座のビアホール等で月一回の割合で開いているらしい。その内行ってみようかと思う。工学部の工業会は50名強の出席、全体で150名弱の出席者であった。講演会は、昭和55年に工学部機械工学科を卒業された、小松製作所の迎野執行役員様より「コマツのものづくり」と題したご講演を戴いた。コマツの企業姿勢、近年の取り組み、今後の開発戦略に渡る有意義なご講演で、大変興味深い物だった。

講演会の後、同じ階の別室に移り、合同懇親会が16時より行なわれた。開会宣言、校歌斉唱よりスタートした懇親会は、各同窓会代表、来賓の紹介が行なわれた後、同窓会を代表して法・経・文同窓会東京支部長 中川了滋様、来賓を代表して金沢大学学長 山崎光悦様のご挨拶を戴いた。懇親会のテーブルは円卓でそれぞれの同窓会を混ぜた形に配置された。教育学部OBが座る隣のテーブルに気を引かれながらも、隣席の土木出身の先輩と、学生時代の頃から国交省務めの頃までのお話等で楽しい時間を過ごす事が出来た。欲を言えば、もう少しうまい酒を、まあ東京の会場でこの会費では無理か。懇親会は寮歌でただの宴会に、拳と旗を振り下ろしながらの大熱唱で幕を閉じた、「そりゃあ〜〜ッ!!」。この後、多くの方が同ビルの飲食店街で行なわれる各学部個別の二次会へ向かう中、一人つくばへの帰路についた。茅場町のビストロで白ワインを空け、終電近くでつくばへ着いた頃にはもう日が変わっていただろうか。ジャケットのポケットには、上手い事営業されたループ帯が忍んでいた。そんなに安くは無いが、皆様も如何でしょうか。

文、写真 97年博士修了 小口治久

四高寮歌、星影冴ゆる記念祭〜〜

ことじ灯籠を配したループ帯

【編注】
金沢大学東京事務所
平成28年度 金沢大学同窓会東京支部 総会・記念講演会・合同懇親会
東京での金沢大学関連情報については、金沢大学東京事務所のおしらせを参照されたし。北の都会月例会も掲載されている。

東京オリンピック開催の年の物理学科入学生同窓会開催報告

先の東京オリンピック開催の年(1964年)に入学した物理学科生の同窓会を、およそ半世紀ぶりに開催しました。2016年11月16日(水)、湯涌温泉「かなや」の宿に、12名の、かつての青年がその面影を漂わせながら参集しました。卒業後、湯河原温泉や舘山寺温泉に一部が集うことはありましたが、48年ぶりのメンバーの顔も多くありました。当日は、先ず金沢駅西口に6名が集まり、メンバーの車で新しい(私らの感覚では・・・)角間キャンパスを訪れました。広大なキャンパスに迷いながらも大学会館にたどり着き、アカンサスインターフェイスを通って自然科学5号館まで足を運びました。途中、在学生とも交流しながら写真を撮りました。

湯涌温泉「かなや」の宿には、午後4時ごろから三々五々集まり始め、お風呂の中からお互いの確認が始まりました。しかし、6時の宴席は始まってもまだ2名が顔を見せません。なんだかんだと議論しながらも、焦れて、先ず10名で記念の集合写真を撮ることになりました。50年余りの月日はたいへん長いものです。皆さんそれぞれの充実した50年を語るには、どれだけ時間があっても足りません。そこで、そこは簡略にして、むしろ「いま」ないしは「これから」を語ってもらうことにいたしました。驚くことに、ほとんどの人が、この「いま」ないし「これから」に具体的なテーマを持って活動していることがわかりました。恐るべし我が同窓の、この歳にして、この活力、立派な友人をたくさん持った幸せを感じたひと時でした。

宴席の終盤に、一人来着、翌朝朝食時一人来着、必然独演になったことは疑う余地はありませ ん。いずれも地元のメンバーでした。

半世紀ぶりに、昔の学生時代に戻り、おおいに語らい、鋭気を回復した二日間の同窓会でした。

(小林正尚記)

金沢大学理学部物理学科1964.04入学同期生
2016.11.17金沢大学角間キャンパスにて

金沢大学理学部物理学科1964.04入学同期生
2016.11.16~17同窓会湯涌温泉「かなや」にて

堀尚一先生の卒寿を祝う会

問谷元子(元職員)

日時:2016年9月10日(土)18時~20時 金沢白鳥路ホテル山楽にて
出席者:堀尚一先生、卒業生30名、元職員2名、現職教授2名。合計35名

暑さも一段落といった初秋の夕方、金沢の小さなホテルにみなさんが集まった。出席者の半数が、4年前の先生の米寿お祝い会に集まっていたが、今回は、先生に教えを受けた研究室の卒業生全員に案内を出したので、卒業以来初めて先生に会うという人もかなりいた。南は熊本から、地震で自宅が半壊したという人と、崩壊した熊本城の中にある高校に通っていたという人と2人も出席。四国から2人、岡山県、名古屋市、新潟市、東京・関東からも大勢。地元石川県内からは11人など、ぞくぞくと堀先生の卒寿をお祝いしようと集まった。

先生は、近年足が不自由になられ、ホテル内は車椅子で移動された。会の始まりごろは、お元気がないように見受けられたが、会が進むにつれ卒業生の話しの中から、いろいろな事を思い出されたようで、だんだん元気になられ、終盤になり卒業生が堀先生のお好きな寮歌をみんなで謳おうと声をかけると、「アイン・ツバイ・ドライ」と号令をかけられ大きな声で「北の都」を謳われた。その後全員で集合写真を撮り、散会となった。

私は、ご高齢の堀先生の健康を思い、先生をご自宅にお送りしてから、2次会をするつもりでいた。ところが先生は2次会に行くと言われ、2次会でも賑やかに話をされ、ワインもお代わりされた。先生はこの会を楽しまれ美味しいお酒を飲まれたようだ。

次の日の朝、先生のご機嫌はいかがかと電話すると、しっかりした声で「元気ですよ」と言われ、安心した。また後日、集合写真と出席者全員が書いた先生へのお祝いメッセージ集(アルバム)を届けに伺うと、卒寿のお祝品として差し上げたワインレッドの「ベスト」を着て玄関に出てこられた。先生は「みなさんに有難うと言ってください」と言われた。

堀尚一先生の卒寿を祝う会
堀先生が会の最後に、謝辞を述べておられるところ。着ておられる法被は、卒業生の方が「北の都会」から借りてこられたものだそうです。これを着て、四高寮歌「北の都」を謳われました。

理学部関東同窓会開催の報告

市村 洋(昭和43年卒)理学部関東同窓会物理学科卒幹事

去る9月24日(土)、金沢大学関東合同同窓会の前座として理学部関東同窓会が開催され、総勢20名の方々が参加されました。そのうち物理学科卒は竹内さま (S52年卒)、松田さま (S58年卒)、山田さま(S46年卒)、小口さま (H04年卒)と私の5名でした。松田さん、山田さん、小口さんは、物理学科同窓会に数度参加されていること等、世代を超えて色々な会話を楽しむことができました。

また、不参加でしたがこの件について返信を戴いた方は、秋山さま(S43年卒)、中島さま(S35年卒)、河井さま(H04年卒)、森井さま(S45年卒)、伊東さま(S39年卒)です。「この集まりを始めて知った」、「次回からは参加したい」等のご連絡を戴きました。金沢大学から学長も参加戴けるとの情報をもっと早く知り、ご案内を差し上げていたならば、母校の現状と展望を知りたく、さらに多くご参加いただけたのではと思いました。

以上

理学部関東同窓会